行き当たりバッチリ
フッカーSの趣味や、日々の出来事、思ったことなどを書いてます。

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猥褻とアートとエロ

ろくでなし子氏の逮捕、過去に何度も議論されてきたアートか猥褻かの議論、漫画などのエロと表現の自由の問題・・・・・。
私個人の描くイラストはエロと無縁というか、エロを描きたくても全く技能もセンスも無いので描けないのだが、そんな私でもときどき巷で騒がれるアート×猥褻問題に関して考えることはある。
個人的には、そもそも、アートと猥褻は共存しないものと考えている。また、猥褻に関する法律や規制を制定した当初はそうでなかったと思うが、昨今は「猥褻」というものに対する解釈が誤っている感もある。
まず、猥褻というのは「社会通念に照らして性的に逸脱した状態のこと」(引用元:wikipedia)となっている。SEXを含め、性的行為やそれを行うためのサービスや商品は、人が健全に性を営み種を残していく上で必要で、社会通念から逸脱しているとは考えられないので猥褻なものではない。それが徐々に動物的になり、理性や節度から遠のくに従って、イヤラシイ→卑猥→淫靡あるいは猥褻となっていく。ただし、そこには必ず生身の裸があり、印象として実に生々しいものと感じる。しかし、いつの頃からか、エロスと猥褻がごちゃまぜになってしまい、裸があれば何でもイコール猥褻と言われてしまってる気がする。一方、アートというのはほとんどの場合、人の手が加わった人為的な創作物である。フィギュアにしろ漫画にしろ画像にしろ、それは人工物であり、電子作品であればただのデータである。それによって性的興奮を喚起する人も少なくはないだろうが、それは人工物やデータが猥褻なのではなく、あくまでも見る人の方が勝手に生々しさを感じているのである。果物や野菜がときどき性器の形になったり、草木が偶然にSEXの体位に見えたりすることがあるが、あれだって見方の問題で、実際はただの果物や野菜であり、草木でしかない。日本には古くから性器を祀るお祭りがあり、リアルな男性器をどうどうとお披露目しているが、それを猥褻と談じたりしない。それは、披露される“ご神体”はあくまでも木製の人工物だったりして、生々しい本物ではないからだ。つまり、本来、人工物あるいは人為的な創作が加えられたアートと、あるがままの生々しい性が基本となっている猥褻は混在しえないものだと思う。簡単に言ってしまえば、アートはモノ、猥褻はそれを見る人とも言えるからだ。そして、「アート」の解釈は意外と簡単なんじゃないかと思う。それが人為的につくられたものであり、作者が「アートだ」と言えばアートなのだ。考え方さえ変えれば、その考え方を多くの人が共有できさえすれば、それは性器を祀るお祭りの“ご神体”のように「神聖なもの」にすら昇華する。いわゆる「エロス」は芸術に密接で、巷でよく聞く「エロ」と言う俗語はエロスの間違った誤訳が広まったもはや別の単語だと感じる。それに対して「猥褻」の解釈は難しい。「社会通念に照らして性的に逸脱した状態のこと」だと言うが、その「社会通念」が時代とともに変化しているからだ。変化のきっかけは性的な事件や社会的な人権問題、性差別だったりするのだが、それによって「社会通念」の基準となる世論が変わり、法律が改正され、「猥褻」の範囲が変化していく。混浴文化があり、褌いっちょうの裸祭りがあり、政府公認の風俗街があった日本は、諸外国に比べて性に大らかで、猥褻どころか性を真逆である神聖の域にまで高めていた。それが猥褻なのか神聖なものなのか、どっちへ転ぶかは考え方1つ。その考え方は人が百人居れば百通りになるだろうから、よけいに難しい。いわゆる「性癖」というもので、普通の人から見れば全く性的なイメージなど感じないもの(例えばただのボール、あるいはビニールとか、単純に肌色だとか)にも性欲を感じる人が居る。そうしたものに一定の基準や範囲を設けて「社会通念」を考えるのだから、無理があるし、矛盾も生じる。実際に忌まわしい事件などが起こっているので、秩序を守るための法律制定の規準として無茶でも一定の解釈を明確にしなくてはならないのだろう。しかし、そうして考えられた「猥褻」の解釈自体が、その後どんどん誤解されて広まり、裸あるいはそれを模倣したものを全て猥褻だと言ってしまう風潮が出来上がってしまったのは残念である。何度も言うが、結局は人の考え方次第で、生々しい裸があるヌーディストビーチですら、愛好家にとっては最もナチュラルな場所であり銭湯に行くのと変わらぬ行為であり、猥褻とは無縁なものなのである。テレビなどに出てる著名人でも「自宅では全裸」という方が少なからずおられるが、ほとんどの方が「その方がラク」だとか「落ち着く」からであって、性的なプレイでは無いだろう。
例えば公共の場に、いきなり全裸の男性が現れたとする。この場合、そこには不特定多数の人間が居て、性に対して免疫の無い未成年や、嫌悪感を抱く潔癖な人間が含まれている。そういう人たちにとっては、見たくなかった男性の裸で不快感を抱くわけだから、全裸になった男性の行為は好ましくない行為=犯罪に近い行為となる。いわゆる猥褻行為である。これが人ではなくモノであっても、不特定多数の人間が居る公共の場やネット上であれば「猥褻物陳列罪」あるいは「猥褻物頒布等の罪」になるだろう。しかし、誰一人嫌悪感や実害が無い、同好の者どうしで秘かに行うだけの行為だったらどうだろう。例えば同じものを陳列あるいは頒布しても、受けて全員がそれを許容する人たちに限られていたなら、「猥褻物陳列罪」あるいは「猥褻物頒布等の罪」の文言から「猥褻」という単語が取れて問題はなくなってしまう気がする。先に挙げたヌーディストビーチに置き換えるとわかりやすいが、ビーチの中でいくら裸をさらしても誰一人文句は無いし「裸だからって何?何か問題があるの?」ってことになるが、ビーチから一歩でも出た途端それが問題となる。つまり、考え方を異にする部外者がそこに存在した瞬間から、別の観点からの問題提起が始まるのである。ろくでなし子氏逮捕のケースはどうかといえば、女性器を模造できる3Dプリンター用データが頒布されたのは、氏が進める性をモチーフとしたアート・プロジェクトに対する資金提供者たちである。つまり、氏のアート活動に対して理解を示し、作品に対する受け止め方もさほど違わないであろう同好の方々である。そこには誰一人嫌悪感を抱く不特定の他者は居ないし、受け取ったデータに関して「猥褻」を見出す人は居なかったと想像出来る。それを「猥褻」と判断したのは、考え方を異にする部外者であるところの警視庁保安課である。内輪だけで何ら問題無く行われていたものを、こうやって問題化し、公に報道することによってまたしても「猥褻」の間違った解釈が広まっていく。そして、ますます自由の無い、規制ばかりの居心地の悪い社会が出来上がっていく。ろくでなし子氏のケースは、不特定多数の人間が関わる公序良俗の問題にも当たらないし、未成年が閲覧可能なコンビニの成年漫画誌の問題とも違う。そもそも、自らが売春したとかの話ではなく、ただのデータ、しかも人体の一部を模しただけのものであり、氏自らが「アート」と称しているものである。3Dプリンター用データによって造型された物品が、個人の趣味の範囲内で鑑賞されるにとどまるか、最終的に第三者の目にさらされることになるか否かは別にして、少なくとも単純にデータに関しては、個人的に考えるアートの定義に当てはまっていると思う。受け取った側も、それを「アート」だと見ている。それを授受したとして、どうして「猥褻物頒布」になるのかが分らない。そもそも人それぞれの解釈や感じ方があるものを1つの解釈にまとめたこと自体に無理があったと思えるのだが、この世にはいろんな人が一緒に暮らしているのだからある程度のルールや基準を設けるのは仕方ないと思う。しかし、不快感や嫌悪感を抱く人間が一人も居ない場所で、被害者あるいは被害者に成りうる者が皆無な状態で何が罪になるのか。
昨今は、客観的に見てどこに問題があるのかさっぱり分からないCMやドラマのエピソードが、いきなり放送中止となったり欠番となって封印されたりする。昔なら平気で放送されていた台詞や単語も、ピー音が入って聞こえなかったりする。こういうところも、大らかだった昔と違い、昨今は何でも細かく神経質になっていると感じるところだ。問題を皆で考え、論じ合うのは悪いことでは無い。しかし、結果的にどんどん規制やルールが多くなり、自由が無くなっていくのは嘆かわしい限りである。規制やルールが増えるのは、自由が減っていくのと同時に、「猥褻」の対象となるものが増えていくということ。何でもかんでも猥褻にすれば良いって問題じゃない、臭いものには全て蓋をしてしまえという強引で思慮の無いやり方と、同じに思えて仕方が無い。アダルトビデオの映倫のモザイクの件。ボカシやモザイクが入っていると、逆にイヤラシさが増すと感じるのは私だけだろうか。あるがままのものをあるがまま映す方が自然で、むしろイヤラシさは減るんじゃなかろうか。「イヤラシイ」という言葉にはどこか「卑しい」「恥ずかしい」といったニュアンスが籠もっている気がするが、暈しなどで「隠す」行為に対して「イヤラシイ」と思うのはニュアンス的にも合ってる気がする。隠すから「イヤラシイ」と思い、見られないからますます見たくなる・・・・・中途半端に隠すものには想像力が働いて、実際よりも卑猥なものを思い描いてしまうと、そういうものなんじゃないのかな、人の心理って。まあ、私は別にアダルトビデオのモザイクを消す運動をしてるわけじゃない、ただアートと猥褻の違い、猥褻の解釈に対する違和感、昨今の風潮について、今まで事あるごとにちょこちょこ考えていたことをまとめて書いたに過ぎない。あくまでも一個人の考え方の1つであり、意見である。これを読む人には反対意見を持つものも居るだろうが、そうした意見を否定はしない。それは人の数だけ異なった考え方があることを認めているからなのだが、逆に言えば「あなたの意見も認めるから、こっちの意見も少しは認めてよ」ということでもある。極めて力のある少数の人間が物事の多くを決めてしまうのではなく、もう少しいろんな人の意見を反映させて欲しいと思う。
現代は、ルールや制約が増え過ぎて、社会全体が窮屈となり、それゆえに人々が萎縮してしまって元気が失われている気がしてならない。もう少し表現の自由や寛容さが認められれば、むかし何でもありだった頃の面白さや活気が戻ってくるんじゃないか。問題が起こればそのときは、個々の事例に対して別々に論議し、それぞれに異なった責任や罰を負わせれば良い。1つの事例で物事の大半を判断する基準を設け、それ以後は「基準に反したから、はいアウト!」ってのは、思考停止の乱暴なやり方にも思える。とにかく、アートはアート、誰も傷つかず不快に思ってないなら罪じゃない。例え受け手に何らかの欲求があったとしても、アートで解消するなら良いじゃないか。そうした欲求を間違った判断でせき止めて、たまった欲求が第三者に害を及ぼす方向で爆発することの方が心配にはならないか。昔よりも性に対する規制やルールが増えた昨今だが、性犯罪や問題事案はむしろ昔より増えてはいないだろうか。それは、抑え過ぎた欲求が間違った方向で解消されることになっている結果とは考えられないだろうか。
話が長くなり、内容もまとまりが無くなって何を言わんとしているか自分でも分らなくなってきたが、要はアートと猥褻は決して交わらない、裸あるいは裸を模したものがあれば猥褻と論じる風潮に異を唱える・・・・・と、まあ、そんな話です。


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アートなCM

ここ最近、個人的に最もアートを感じたCMがコレ。イオンのビーチスタイルのCM。



動作の反復、モンタージュの構成、選曲などなど、まるでMarco Brambillaみたいだと思った。Marco Brambillaは個人的に好きな作家なのだが、映像インスタレーションやミュージックビデオではあっと驚くような映像作品を生み出すのに、ときどき気まぐれで携わる映画の監督作品ではどういうわけか魅力が全く感じられないという、不思議な作家さんであります(笑)。Alex ProyasやTarsem Singh、メジャーどころではTim Burtonなどは、ストーリーのある映画作品でもきっちり独自のアート感を盛り込んでくるのに、なぜMarcoはそうなってしまうのか。・・・・・しかし、そういうギャップも応援したくなる要因の1つなのかもしれません(笑)。
あ。Marco Brambillaについて書いてますが、イオンのビーチスタイルのCMの演出家が誰であるかは知りません。



One week of Japanese Art(youtube)



何で下描き無しでこんな絵が描けるんだー!?



花蟲氏

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現在、とてつもなくハマってる絵師の一人、花蟲氏。
この独特の世界観、タッチ、キャラのセンスがたまらなく好き!!
※ 画像はamazonの「花蟲幻想 (TH ART Series) [単行本] 」の商品イメージより引用



コンビにでオッケー



実は私、プリンターは持ってないのです。以前はプリンターもスキャナーもあったんですが、プリンターは古い物だったため壊れてしまい、スキャナーは特大サイズのスキャンを綺麗に行いたいという希望があったので業務用の21万円もする機種を買ったのですが、あまりにも大きくて重いので引越しの際に廃棄してしまいました。以降、いずれ複合機でも買おうと思っていたのですが、その前にパソコンやデジカメなどが立て続けに壊れ、そちらでお金を使い切ってしまった次第です(苦笑)。
しかし、昨今は自宅にスキャナーやプリンターが無くても、近所にコンビニがあれば簡単にデジタルデータのプリントアウトやコピー、スキャンが出来るようになりました。まったくもって、便利な世の中になったものです。セブンイレブンのマルチコピー機なんぞは、スキャンしたデジタルデータをお好みの形式で各種メディアに保存することが出来たり、そのままファックス送信出来たりします。写真などの画像データはもちろんですが、テキスト形式のデータでもプリント出来ます。ホントに便利この上ないです。
ただ、使用頻度が高ければコンビにではそれなりのお金がかかってしまうので、そういう場合はやはり購入した方が良いんでしょうけどね(笑)。イラストのポートフォリオなんかを作る場合も、作る部数によってはマイ・プリンター必須・・・・と言えるかもしれません。





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